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入社試験はなんのために実施するのか [キャリア]

先日、うちで3年弱バイトを続けている女の子が、新卒の面接に来ました。

彼女がバイトを始めた頃は、まだ赤坂の10坪くらいのオフィスで、会議室も隣の会社に借りているような時代。彼女は大学一年生で、熱意ある少女でした。

それから三年。
会社の規模は6倍になり、彼女もアルバイトとはいえ製品の重要な決定事項に関わるまでになりました。会社の中では片手に入るほどの古株です。

長年アルバイトを続けてきてくれた子が、迷わずうちを就職先に選んでくれる。
そういうことが本当に嬉しくて、すぐに内定を出してあげようかと思ったけれども、そこは僕なりに踏みとどまって、きちんとした手順で履歴書を受け付け、面接をし、入社試験をしました。

その日はとても奇妙でした。

彼女はいつも僕の右前の席に座っているのですが、定例会議が終わって、「時間です」と言われて面接に赴きました。

お互い、どこか緊張しつつ、どこかこのおかしな状況を楽しみつつ、通り一遍のやりとりをしました。
彼女は、僕のブログを読んでいましたから、僕が面接で何を聞くか、何を答えればいいのか、自分でも把握した上で慎重に言葉を選んでいました。

良くできた部下というのは良くできた教え子のようなものです。
僕がそう感じるとき、きっと部下のほうが上司の自分よりもずっと優秀なのです。


志望理由、展望など、聞くべきことを聞いてから、さて、と思いました。

このまま面接を終えて良いものか。

彼女にとっては、一生に一度しかない新卒の就職活動です。
それがこんなあっさりと面接だけで終わって良いのでしょうか。

一次面接、二次面接、最終面接と進んでいくのが通常の新卒のステップです。
いきなり社長面接から始まって、それで評価が決まってしまって良いのか。

そこで、筆記試験をすることにしました。
といっても、実はうちの会社は技術系のスタッフは全て筆記試験が義務づけられているのです。
技術系でないスタッフであっても、デザイナーなどは必ず作品提出が義務づけられます。

ではなぜ、入社試験をするのでしょうか。

入社試験には、いろいろな意味があります。
まず入社試験というのは、入学試験とまるで逆のことを目的としています。

入学試験の目的は、定員までに絞り込むこと。
つまり、「落とすための試験」です。

入社試験の目的は、一定の水準を満たしているかどうか確認すること。つまり「入れるための試験」です。
学校と異なり、会社の場合は、優秀な新人であれば、たとえ定員を超えてしまったとしても欲しいのです。
小さい会社は特にそうです。それはいつでも、どんなときでも変わりません。

優秀な新人とはなにか?

極めて端的に言えば、若くて、賢くて、熱意のある人です。
どれひとつ欠けても「優秀な新人」とは成りません。

その3つの条件を満たす人は、就職先がみつからなくて困ることはまずないでしょう。

逆に、その条件を満たさなければ、将来にわたってお互いにとって不幸な結果を招くことでしょう。
だから入社前に必ずその確認をするのです。これはアルバイトでも特殊な例外を除けばあてはまります。

どんなに面接が上手くても、筆記試験をすれば相手の適性や知性の方向性は解ります。

とはいえ、そんなに時間がないのでうちの会社の入社試験はたった90分で三科目をやります。

論理演算、英語、小論文です。

弊社の試験のポイントは、「知識がなくても、熱意があって十分賢ければ、必ず全問正答できる」ということです。

つまり試験勉強そのものが無意味ということです。

例えば「英語」

英語を理解するのに、英語の全ての知識を覚えてきたり、辞書を丸暗記しても全く無意味です。
実際、面白いことに、先日英語の翻訳のアルバイトの採用試験をした際、辞書持ち込み可という条件だったにもかかわらず、半分の人が誤った解答を書いていました。試験問題はとても簡単で、海外のニュースサイトにある英文を読んで、それを要約するだけ。

そんな簡単なことですら、きちんと解ける人は少ないのです。

次に、論理演算。
論理演算は、答えを導くのに必要な知識やヒントは全て問題に書かれています。
十分な時間があれば、確実に正答を見つけることが出来るはずです。

それだけではあまりに簡単なので、時間制限を設けています。

さて、上記二つは、真面目に学校の教育を受けていたり、英語のリテラシーがあったりすれば、全く間違わずに答えることも可能です。人によってはあまりに簡単で拍子抜けしてしまいます。

そういう人の真の発想力や思考力を見極めたり、逆にどうしても短時間のうちに論理演算の答えを見つけたり、慣れない英文を読んで苦労したりした人の救済措置として、小論文があります。

小論文は二問あり、いくつかのテーマの中から選んで論文を書きます。

人によっては論理演算はあまりにも難しいと感じるらしく、まるで白紙の場合もありますが、そのぶん小論文で熱心さが伝われば、その部分を評価することがあります。

ただし、小論文というのは、非常に難しく、熱心であるように見えるだけでもいけませんし、頭が良さそうに見えるだけでもいけません。

「実際に頭が良い」必要があります。

ただ、人によっては文章を書く能力をあまり磨いておらず、頭は良いんだけど、文章にして表現できないということがあります。それで論理演算と英語の問題があるのです。全部だめなら、残念ながらこの評価基準では救いようがないということになってしまいます。

頭が悪い人はどんなに頑張っても小論文を書いて「頭が良い」と思わせることはできません。
小論文を読み慣れている人が読むと、書いた人の普段の性格や将来性までもが見抜かれてしまいます。

ここにもへんなテクニックや小細工は通用しません。

たとえば、どこかで見たような話を繰り返していたら、ダメです。
だから事前に「Web進化論」を読んでおこうとか、このブログを読んでおこうとか、思っても何の役にも立ちません。

とはいえ、全く無意味な、現実を無視し過ぎた話も、ダメです。この場合、単に思いこみが激しく、非現実的なことばかり考える傾向があると判定されてしまいます。

ではどうするのがいいのか。
簡単です。きっと、あらゆる小論文に通じることだと思います。

「常識的で、独創的で、発展的な文章を書くこと」です。

実際のところ、それが本当に独創的である必要はありません。自分で考えた結果が、実は以前にどこか別のところで誰かが言っていたことと被る可能性も有り得なくはありません。

とはいえ、有名な本に書いてあることをそのまんま書いた場合、この業界に対してあまりに勉強不足という評価を貰ってしまうのは否めないでしょうし、かといって有名な本について書いてあることすら把握していなかった場合、やぱり不勉強であると思われてしまいます。

うちの場合、この小論文を最も重視します。

大企業になると小論文を読む前にいろいろな条件で落とさないととても全部読み切れないので落とす場合もあると思いますが、うちは会社が小さいので必ず社長が小論文に全て目を通します。

そして、UEIで働くに相応しい資質を持っていることが確認できて、初めて採用通知を出すのです。

うちのような規模だと、入社試験をきちんと実施していない会社も多いと聞きます。
けれども、僕はサラリーマンの時代から一貫して入社試験には拘ってきました。

なぜなら、会社が発展し続けることを前提に置けば、まだ小さいうちに入ってくる社員というのは全員が将来の幹部候補です。だから面接でも必ず「将来どうなりたいか」「将来、この会社をどうしていきたいか」ということを聞くようにしています。

彼らはひとたび社員になれば、一人一人が会社の顔になるのです。だから人を雇うのは慎重に慎重を重ねるのです。


そして厳しい入試試験をすればするほど、それに合格した社員は厳しい自覚を持って業務にあたってくれます。

あるとき、あまりに面接の間口を広げすぎてしまったことがあって、あらゆる人を面接することになってしまい、僕がとても苦労したという話を社員にしたら、彼はこう言いました。

 「"あの"入社試験はちゃんとやったのですか?あれを先にやればかなりの人は絞れると思います」

僕が思っている以上に、社員にとって入社試験の記憶は強烈に残っていて、「あんな難しい試験をくぐり抜けるのだったら、その相手は認めても良い」と思わせるだけの存在になっていたのです。

そういう細かいこと、ひとつひとつが、もしかすると社員の誇りを醸成し、品質意識や技術意識を高めることに一役買っているのかも知れません。

また、筆記試験をすることで、仮に不合格になってしまった場合でも、お互いに納得できるという点も見逃せません。

面接だけで落ちてしまうと、一体何が悪かったのか解らず、腹が立ってきます。
筆記試験をやってから落ちると、「しょうがなかったか」という気分になります。

面接だけで落とされた人は、きっとそれがどんな理由であれ、我々に対していい気分を抱かないでしょう。
女の子に振られるよりも会社に振られるのは辛いことです。

しかし筆記試験の結果落ちたとあれば、なんとなく納得できます。
筆記試験というのは、「会社はこういう尺度で貴方という人間を評価しますよ」という、いわばマニフェストなのです。

その評価尺度が、自分にとってあわないものであれば、落ちてもやむなし、と思うのではないでしょうか。

就活ではないですが、僕が以前、東大大学院の情報学監ムニャムニャ産学連携プログラムというのを受験したときに小論文と英語の試験しか出なかったのですが、その小論文の問いが

 「次世代ゲーム機のスペックを予想し、そのゲーム機で実現可能になるゲームを企画しろ」

というもので、極めてズッコケた記憶があります。
なぜなら僕は当の発売前の次世代ゲーム機の開発にどっぷりハマッていて、そのスペックというのはたとえ知っていても・・・というか、知っているからこそ、守秘義務で書くことが出来ないからです。

考えあぐねた僕は、その設問の目的が本当の次世代ゲーム機のスペックを推定させることではなくて、ゲーム機というものに対する理解力を量りたいのだろうと決めつけ、「分散型コンピュータを利用した世界初の分散型ゲーム」という、完全なる妄想ゲームマシンをでっちあげ、その上で実現する「分散型仮想世界シミュレーション」なる陳腐なゲームと、その駆動原理を全て妄想だけで描ききりました。でも、実現したら面白いのではないか、と思うレベルで。

これを書いたあとで僕は、「これで落ちるんなら、東大にはゲームや技術を理解している先生はひとりも居ないのだろうな」と却って諦めが付きました。そもそも、ゲーム機のスペック予想なんて中学生みたいな問題を出すのはいかがなものか、と思ったりして。

とまあ、合否はともかく、こんなふうに気持ちよく諦めがつくものなのです。

気持ちよく諦めた場合、誰かにその会社のことを聞かれたら、「あそこの試験は受けたけど、僕には向いてなかったよ。英語が必修なんだもん」とポジティブに語ることが出来ます。面接だけだと、「あの面接官でなければ・・・」など、絶対に運不運がでて、「語りたくない」ということになってしまいます。

入社試験の問題というのは、会社から入社希望者に対して会社の持つ価値観を伝える最も重要なメディアなのです。

人間の感情や決めつけになってしまうとなにかと不都合なとき、代替物となって真の意図を伝える役割を果たす者を心理学では「ミーディアム」と呼ぶそうです。中間物、ということですね。

タロット占いにおけるタロットカード、手相占いにおける手相など、占いはミーディアムをうまく活用するものが殆どです。占い以外でも、プレゼンテーションにおけるグラフや、引用文はミーディアムと言えます。言いにくいことを他の中間物を挟むことによってうまく伝えるのです。


というわけで、まとめると、入社試験をする理由は

  1. その会社に相応しい知性と熱意があるか調べる
  2. 入社後に社員のプライドや価値観の方向性を決定づける
  3. 入社前の社員に会社の持つ価値観を伝えるメディア
  4. 落ちてもポジティブに諦めることができるためのミーディアム


ということですね
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