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はてなとマッキンゼーとUEIとマイクロソフト、社内コミュニケーションについて


はてなが京都に戻る? ふふふ予定通りやを読むと、はてなという会社のブレのなさにさすがと思ってしまいますが、はてなの京都移転でコミュニケーションについて考えてみた。を読んで、そういえばコミュニケーションと距離の問題ってあるなあと思ったのでした。以下、いつも通り長いブログ。




いま、僕の会社UEIは2階、5階、6階ととても縁起の良い数字、すなわち0x100に別れているのですが、そもそもビルが小さいので、フロアも小さい。結局会社の成長にあわせて引っ越しもなんどか検討しているのですが、場所がいいんですよ。いまの会社は。東大の赤門からすぐだから、学生向けの食堂や書店がたくさんあるし、そもそも東大の学内だけで10以上の学生食堂がありますからね。




おまけに学生街だから、家賃も安い。近隣に住む社員も通い安い、秋葉原に近いから、会社行く前にちょっと秋葉に寄ったり、一日に何度も秋葉と往復したりということが可能。上野にも近いから、接待などに便利というメリットがあります。




なにしろいわゆるIT企業の人なんて、滅多に上野なんかで飲みませんからね。

でも上野の飲み屋はどこもすごく安くて、かなり美味しいです。目黒や六本木が根城の人たちは絶対に寄りつかないような、坊や哲にそのまんま出てきそうな飲み屋が多くて、ちょっとビックリしますがみんなその味の美味さと安さに驚いて喜んでくれます。






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  • 作者: 星野 泰視, さい ふうめい
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2007/10
  • メディア: コミック







反面、営業マンを募集すると、沿線が良くないのか、ぜんぜん人が集まらないのが悩みのタネです。

(ちなみに秋葉が好きな営業マンの人、大募集中です。新卒でも)






さて、そんなUEIですが、ふつうの会社と同じように、2階、5階、6階で機能を分けています。




2階は来客や一般事務・総務などがあるフロア。5階は主にモバイルなどの開発を専門に行ったり、法人サポートがあるフロア。6階は、"特殊部隊"と呼ばれる特殊な開発をする開発チームとデザイナーと営業と、先週できた新しい部署"戦略情報セクション"があるフロア。




Peoplewareに基づき、働きやすい空間は社員に自分で決めさせたのですが、結果的に5階と6階であまりにもカルチャーが異なってきていて驚いています。つまり、言いたいのは京都と東京、東京とシリコンバレーに別れていなくても、コミュニケーションやカルチャーは微妙に異なってくる、ということ。




そして、コミュニケーションの問題を円滑に解決するのは経営者の重要な使命だということです。




昨夜飲んでた後輩は、入社基準がめちゃくちゃ厳しいことで有名なマッキンゼーのコンサルタントなのですが、こんなことを言っていました。




 「マッキンゼーは世界50カ国に7000人のコンサルタントが居て、なにかのエキスパートを探そうとすればすぐにデータベースで出てくる。プロジェクトごとにタスクフォースが組まれるようになっていて、世界のどこのプロジェクトでも希望をだせば参加できる。海外のエキスパートの意見だけをテレカンファレンスで聞くこともできるような仕組みがあるんですよ」




そういう本人はドイツに行っていた。けど、ドイツ支局に所属していても、実際の仕事はサウジアラビアやインドで行い、週末は彼女を日本から呼び寄せてドバイで遊んで過ごした、のだそうな。とはいえ週末も殆ど仕事らしいけど。




まあマッキンゼーの場合、派遣型頭脳労働者組織のようなものなので、こういうダイナミックな組織編成も可能なのだと思いますが、うちみたいな会社はそもそもそんなデータベース化するほどの人数でもないし、仕事も短期のものが多いから難しいなあと思いました。




僕もマッキンゼーからインタビューを受けたことが何度かあって、UEIとしてもマッキンゼーから依頼されて仕事をしたこともありますが、本当に彼らは頭が良くてしかも猛烈に働く。以前うちにインタビューに来たのはマッキンゼーのサンフランシスコ支局からで、モバイル業界におけるコンテンツの動向がどうなるか、というテーマで4時間くらい。そのビデオを撮影してクライアントに見せるのだそうな。誰かがそれを英訳したのだとしたら、そのビデオ欲しいって頼んだのですが、くれませんでした。当たり前か。




ところで同じ外資系の大企業でも、マイクロソフトは製造業なので全くそんな感じではなかったです。




僕は学生時代、東京のマイクロソフト株式会社(MSKK)が直接学生を雇用できないという理由で、間に代理店や適当な会社を挟んでギャラを貰っていたのですが、その後レドモンドのMicrosoft Corp(MSHQ)の仕事を請けることになって、海外の会社で働こうとするとビザの問題があって学生が就労することはまず不可能だったので、またしても下請けの下請けという形で報酬を受け取りながら仕事をしていました。






5万人以上の従業員が居ても、拠点ごとに方針はバラバラ。MSHQは全員が個室。MSKKは大部屋に低めのパーティション。僕がウロウロしていた頃はまあフロアごとにパーティションの高さも違っていて、だいたい部長の好みで決まってました。パーティションを選んだ部長は「みんなの顔が見れるからこういうオフィスの方が働きやすい」と言っていました。けど僕は個室




でも結局製品開発そのものはほとんどMSHQでしか行われていなくて、僕の使命は当時世界最先端と言われていた日本のゲーム業界の現場の声を吸い上げて製品開発チームに伝えること、そして逆に製品の優位性や魅力を日本のゲーム業界に伝導(エヴァンジャライズ)することでした。




だから僕らは当時とある大手ゲームメーカーの一角に狭いブースを貰い、開発現場から出る苦情や難問といったものをその都度HQにエスカレーションしたり、時には開発中のゲームのソースコードを解析してOS実装レベルのバグや矛盾を発見し、電話をかけて開発チームと喧嘩したりといったことがメインでした。ある意味、東京とシアトルをつなぐハブみたいな仕事だった。




そのとき思ったのは、海外とうまく仕事をすると二倍速いということでした。




夜HQに電話を掛けて、あーだこーだと注文をつけ、家に帰って朝メールを見ると、新しいビルドが届いている。




こっちが休んでいるときに相手が働いてくれるので、ダブルバッファリングというか、大変効率が宜しい。




それから五年して、シアトルのDWANGO North Americaに行ったとき、日本の開発チームとやりとりして新作ゲームを作ることになりました。といっても、途中までは日本で作っていたんだけど退社日になってしまったのでアメリカに行っても作業が続いてしまっただけなんですけど。



これも同じで、まず宇宙船のデザインを考えて、デザイナーにFAXを送り、ボスの攻撃方法を考えてプログラマーにFAXを送り、家に帰る。




翌朝起きると、布留川君から最新のビルドがJARファイルで届いていて、エミュレータで実行して動作を確かめる。ステージエディタでステージを微調整して、そのデータを布留川君に返す。その繰り返し。




STARDIVERSIONというゲームはそのようにして出来ました。




まあ日本でも、昼間だれかが働いて、夜誰かが起きて作業、みたいなバトンタッチをすればできなくはないですけど。




個人的には距離が離れていてもコラボレーションはあまり問題がないと感じていたのですが、それはやっぱりiアプリのようにビルドが小さくて転送が簡単なものに限られるようです。




その後、Xbox360用のローンチタイトル開発の仕事で、グラフィックに関連した小さなモジュールを作っていたのですが、開発キットそのものが物理的に少なくて、本郷と目黒を一日に何度も往復することになってしまいました。もちろん僕はプログラムを書いてるわけではないのですが、プログラマに実装させるコードはプロデューサーから非常に微妙なニュアンスを出すように言われていて、彼が「気体と固体と液体の要素を全て持った物質。しかも角度によって異なる映像が現れる」と呼ぶものをなんとか作るためには、教科書を渡して「これを作れ」と言うわけにも行かず、いろいろな方程式や理論を適用してその架空の物体をつくるためには、トライ&エラーが必須でした。しかもリアルタイムで動かないといけない。




こういう作業に、ネットワークは殆ど無力で、iBookとiSightを先方に設置して、なんとか本郷で作業指示を出せないか工夫してみましたが、HD解像度のゲーム画面の微妙なニュアンスやキーパッドとのレスポンシビリティまではiBookで再現することはできず、最後はやっぱりつききっきりであーだこーだと指示を出さなくてはならなくなり、深夜タクシーで訪れ、良く先方の床で寝てました。




一連の経験で解ったことは、コラボレーションワークでコミュニケーションをとらないとどうにもならない場合と、そうでもない場合がある、ということです。




STARDIVERSIONの場合は、そうでもなかった場合。これはきっと僕一人だけが海外に居て、他のスタッフは東京に残っていたからでしょう。




Xbox360の仕事の場合は、どうにもならなかった。これは物理的な制約によります。




MSHQと某ゲームメーカーの場合、作るものが完全に別れていたので距離が離れていても問題がなかったと言えます。あったとすれば使う言葉が違うことくらい。それでもプログラマーなのでAPI仕様書をみれば自分たちがなにをすればいいのか分かり合えました。




じゃあはてなの場合はどうだったんでしょうか。




僕ははてなに知り合いが居ないのでなにが原因だったのか想像することしかできませんが、やっぱり小さい会社は社長の「思い」をいかに社員と共有するか、ということに全力を挙げないといけないのではないか、と思います。




たぶん単独のプロジェクトの話ではなくて、全体的な話として、社長の「念」が伝わってないといけない。




また、開発チームがあまりにも離れていると締め切りのプレッシャーを感じない、というのもひとつの問題としてあると思います。




やっぱり目の前で怒ってる人や困ってる人がいるのと、メールで「しっかりやってくれ」と言われるのとでは、プレッシャーの感じ方がぜんぜん違うわけで。




規模がある程度小さい時は、やはりなるべくコンパクトな場所に集結した方がいいのかもしれません。




さて、翻って我らがUEIですが、去年は海外出張、一昨年は4回の入院生活で、だいたい同じくらい社長が会社に居なかったわけですけど、一昨年と去年とで明らかに会社の経営に違いが出てきました。




一昨年、入退院を繰り返していた時期は、僕が入院した二ヶ月後に必ず売上が落ち込みました。まあ当時、営業していたのは僕一人で、リクルートから転職してきたバリバリの営業ウーマンが出社したその日に僕は第一回目の入院生活となったのだからある意味、当然です。




でも東大病院だったので、会社から数分で病室まで来れるし、一日二回は会社と病院の間に定期便が来て、会社での課題や問題などを聞いたり、指示を出したりといったことができました。けれども売上は落ち込む。みんな不安だったのかもしれません。ナニワ金融道でも、立ち上げたばかりの会社の若社長が入院して会社が潰れてしまう話が出てきますが、入院中は何度もその話を思い出して戦々恐々としていました。だから手術をするかどうかで迷う暇も無かった。




全身麻酔の手術をするときには、「死んでも構いません。未知の病原菌に冒されたりしても文句は言いません」という誓約書にサインをするわけですが、最初の手術ではさすがに躊躇しました。けど、5分くらい悩んでサインしました。手術しないと、治ってもまた入院することになるし、そのときに会社が潰れてしまったら困るからです。二回目の手術のときはもう即答で決断した。




同じ病気を持っていて、一回だけ手術した親父に




 「おまえ、死ぬかも知れないんだからもう少し考えろ」




と言われたのですが、




 「万が一、死んでしまったら、会社に保険金が入ってきて、しばらくは会社の資金が潤沢になる。だから大丈夫だ」




と答えました。会社の資金繰りに行き詰まって自殺する社長の気持ちがそのとき初めて解りました。会社というのは死ぬほど大事なのです。




それほどの覚悟をもってしても、売上は落ちてしまった。けど、会社は僕が手術を乗り越える度に強くなっていきました。明らかに落ちる売上も減ってきた。




去年、一年で5回くらいの海外出張と、3回くらいの地方出張があったのですが、売上には全く影響がありませんでした。




会社が強くなったこともそうですが、なによりもインターネット環境があったことが大きいと思います。






世界中、どこにいても情報を集め、指示を出せる。これはとてつもなく凄いことです。

病院では通信は御法度ですから、いくら顔をあわせても仕事がまとまりません。その点、インターネットの威力は文字通り絶大です。




飛行機などでインターネットと電話が不通になると、そのときだけはさすがに困ります。早く機内インターネットを復活させて欲しいと願うことしきりです。




ではリーダーは会社に居なくても会社が機能するのか、という問題に関してですが、僕にはまた別の教訓があります。




サラリーマン時代、部下が十分成長したので、僕が指示を出すことがほとんどない案件がありました。




あまりにも暇なので、彼らの仕事ぶりをビデオに撮影してプロジェクトX風にまとめたりしたくらいです。




ある週末、接待で大切な取引先の担当者とスノーボードに行っていたら、会社から電話が。

進行中のプロジェクトのプロジェクトマネージャからでした。




 「清水さん、遊んでないですぐに戻ってきてください」




 「え、なにかあったの?」




 「なにもかも進んでません。戻ってきてください」




 「え、いや、でも、僕が戻ったって進むわけじゃないだろう」




 「とにかく、私じゃだめなんです。戻ってきてください」




そういうわけで、僕はとるものもとりあえず、ただでさえノーマルタイヤのFRは雪道に危ないというのに、昼の高速を飛ばして大急ぎで会社に戻りました。




それで彼女と直接話をしてみると、もう信じられないくらい怒っています。




 「どうしたの?」




 「なにもかも進んでないんです。プログラマの進捗報告は常に"予定通り"というものだったので安心していたのですが、バグだらけでリリースは不可能です」




 「僕も"予定通り"と聞いていたよ。バグだらけでリリースが不可能と解ったのはいつなの?」




 「さっきです。プログラマを責めたら、"バグが入るのは仕方がないし、どのくらいバグがあるかは事前に予想できない。作業は予定通り進んでいた"と言うのです。でもあと三週間でまともに動くようになるとは思えません」




 「僕はどうすればいい?」




 「座っていてください」




 「は?」




 「そこに座って、みんなに睨みをきかせてください。私じゃプログラマに舐められてしまう。私が技術のことがわからないから、言い訳を聞いても相手が悪いのかわからないんです」




そして僕はうまれて初めて、「お飾り」という仕事を全うすることになったのです。

でも確かに「お飾り」の効果は抜群で、みるみる仕事が進んでいきました。僕は結局、ミーティングに出席したり、クライアントを社内で接待したりと、ほとんどなにもしなかったのですが、開発チームは見違えるように積極的に働き、バグはみるみるとれていきました。




通信対戦のゲームというのはもの凄くデバッグが難しく、おまけに携帯電話というのは電波が切れたり繋がったり電池が切れたり電話がかかってきたりするので、PCやゲーム機の通信対戦の何倍も異常系が多く、バグの原因もわかりにくいので、確かにとてつもなくデバッグは大変でした。




プログラマも全員ゲーム開発経験がない人ばかりだったので、そういうことがわからず黙々と仕様書通りにコーディングを"予定通り"進めていたのです。




僕の仕事は、プログラマを叱咤し、テスターを勇気づけ、取引先担当者に平謝りして宥め、必ず予定通りに完璧なものをリリースするのだと言い続けることだけでした。




軍隊におけるラッパ吹きみたいなものです。




しかし実際に、プロジェクトは絶望の淵から立ち直り、予定通りリリースすることができました。




完成した製品は驚くほどバグが無く、完璧に動作しました。




これは僕にとってはとても良い経験になりました。




どんなに開発チームが優秀でも、リーダーが傍にいなければチームは方向性を失い、失速し、どれを優先すべきで、どれを切り捨てるべきか迷い、進捗の全貌が把握できず、なんとなく遅れていく、ということです。リーダーは常にプロジェクトの完遂したイメージを想像し、それに近づけるようスタッフに全力を尽くさせるのです。




その後もいくつもプロジェクトを経験しましたが、遅れているプロジェクトは圧倒的にリーダーが弱い。どんなに優秀な開発者でも優れたリーダーの元にいなければその実力を発揮することは永久に出来ないということがわかりました。




その意味で、やはりはてなも近藤さんという強力なリーダーが開発チームを常に導いてこそスタッフの能力を発揮できるのかもしれません。




そういえば、UEIでも、あまりに優秀なスタッフが居たので彼らに新製品の開発を完全に任せていたことがあるのですが、結局何が欲しいのか、何を作りたいのか、それを定義するのが僕だったので、最終的に僕が中心になってチームを再編成すると、ようやく開発が前に進んだという経験もあります。人は同じ過ちを繰り返してしまうものなのです。




思えば、海外チームとコラボレーションしたときも、それぞれ現地に強力なリーダーが居ました。だからこそうまくいっていたわけで、リーダーは仕事を進める強力な原動力です。




ソフトウエア開発の仕事というのは、ほとんどが疑似派遣と言われています。

会社から取引先に出向し、そこで作業するのです。これが一番会社にとってはリスクが少なく確実に利益を生み出す方法なのだそうです。




しかし、その方法で利益が生まれたとしても会社として何が残るのでしょうか。

会社の個性はチームとして動いたときに初めて発揮されます。




そういう意味で、変な会社ほど社長がみんなの傍にいて「変」を保ち続ける必要があるのかも知れません。




冒頭にでてきた後輩はうちの2階を見て




 「ここは玩具部屋?」




と本気で聞いてました。ミーティングのためのフロアだと何度言っても信じませんでした。6階に連れて行ったら




 「ああ、そこが清水さんの机ね」




と一番散らかってる机を指差しました。当たっているだけに悔しい。




僕が普段うろついていない5階を改めて見ると、もの凄く綺麗に整頓されていて、余計なものが一切ない部屋でした。




 「ここは別の会社みたいだね」




やっぱりそういう「変」な空気は、属人的なもので、意識的にそういうものを作らないとなかなか浸透していかないのかもしれません。同じビルの5階と6階ですらそうなのですから、オフィスが遠く離れていたらかなり難しいのでしょうね。




というわけでそろそろ会社行こうかな


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